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~ZSOLNAYの歴史~

 

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1. ジョルナイ工房の始まり


ジョルナイ工房の出発点は、小さな粗磁器工場でした。

1851年、当時雑貨商を営んでいたジョルナイ・ミロクーシュは、長男イグナーツへの遺産として、倒産した粗磁器工場を買い取ります。その2年後、イグナーツは工場をペーチュに移設し、数人の従業員を抱えるジョルナイ工房を創業しました。

 

 

2. ジョルナイ・ヴェルモシュと工房の発展


  1864年、ジョルナイ・ヴエルモシュが兄のイグナーツから破産寸前だった工房を受け継ぎます。ヴエルモシュは、彼自身は陶磁器工房の技術者ではありませんでしたが、父譲りの商才を存分に発揮し、再建に乗り出しました。

 彼はまず、様々な産業用の粗磁器を生産して資金を調達した後、ペーチ付近で良質な粘土を採掘しました。また、これらの得られた資金を用いてアメリカで最先端の薬学を学んだ調剤使と優秀な工場監督を海外から呼び集め、磁器製造に全力を注ぎました。

ジョルナイ工房は、その独自の製法と最新のセラミック技術により、急速に市場を拡大していきました。その結果、1873年にはオーストリアの首都ウィーンでの国際博覧会で銅賞を受賞、そして1878年のパリ万博では見事グランプリを受賞しました。

これらの受賞により、ジョルナイの名は世界に知れ渡る事となります。 

 

 

3. エオシン軸の開発


 1893年、ジョルナイの歴史を語る上で外せない、陶磁器研究の最大の成果であり、現代までその製造方法はシークレットとなっている「エオシン軸」が発明されました。「エオシン軸」とは、独特の玉虫色の光沢を放つ陶器で、その名の由来はギリシア語で「暁」を意味する「エオス」からきています。この「エオシン軸」の誕生は、当時の建築家たちの想像力を大いに刺激しました。 

 

 

4. ジョルナイ文化の影響


 ジョルナイの技術によってその想像力を刺激された建築家達の中には、ハンガリーの分離派建築の中心的人物であり、かのガウディと並び称される程の19世紀を代表する建築家である「レヒネル エデン」がいました。彼はジョルナイのセラミック技術、そして「エオシン軸」の虜となり、ついにジョルナイ工房との共同作業によって、マジャールの民族性を意識したレヒネルの代表作「応用美術館」を筆頭に、ハンガリー独自のアールヌーヴォー技術を築いていきました。

 ジョルナイ一族の発明した美術品は、日本では同じハンガリーのブランドであるヘレンドと比べて知名度は低いものの、その特殊な技術は日本の工芸文化に多大なる影響を与えました。現在も、ジョルナイの美術品は京都工芸繊維大学に保存されています。